2016.06.06

  • 人×∞

個展「箱のなかに入っているのはどちらか?」作品解説その1

こんにちは、イシイです。
去る2016/5/19(木) 〜 2016/5/29(日)に、「耳のないマウス」というアーティスト名で、3331アーツ千代田にて「箱のなかに入っているのはどちらか?」というタイトルの展示会を行っていました。

「なんか胸がザワザワする」「トラウマになる」など様々な感想をいただけましたが、総じてよくわからないとのご意見多数のため、作品紹介も兼ねてちょっとここで簡単に展示物の解説をしておこうかと思います。

「移動する主体」

ステートメントでは、

先日、近所の保育園に通うようになった子供に「保育園楽しい?」と訊くと「楽しいよ!一緒に行きたい?」というので「行きたいな!」と私がいうと「じゃあ、もう少し小さくなったらね」という返事が返ってきました。私は大人なのでもう二度と保育園に通うことは無いと思っていたので、この返答には、はっ、とさせられましたし、確かに小さくなれば保育園に行けるんだろうなと納得させられました。年はとるものだし時間は一方向に進んでいるのだという概念にすっかり囚われていたわけですが、それは単に経験上の話であって明日一日老いるのか若返るか、今日の時点では半々の確率なはずです。ただ、これまで毎日年は重ねてきているので明日はそれが減るというのは信じがたい話ではあるのですが、可能性としては本当に半々なんだと思うと不思議な世界に生きているのだな、と思います。それとも、自然現象に対して人間の言葉が不適切なのでしょうか。そうはいっても言葉以外には想像する術がなく、自然現象も言語フィルターを通して知覚しているように思われます。言語の外側の世界がどのように広がっているのか私たちには別の言語を獲得するまで想像することはできないのです。しかし言葉の使い方を変えることで物理的な壁は軽々と越えることができるんですね。なれるかどうかは別として、小さくなれば私も保育園に入園できるんです。今すぐ入園できない理由は単に私の体が大きすぎるんですね。この会話から、大人の作る社会というのは言葉にというより言葉の使い方に拘束されているんだなと気付かされました。本来、たくさんの言葉を知ればそれにつれ自由に思考できるツールになるのかもしれませんがその使い方やルールに凝り固まってしまっているのかもしれない、というところから、ルールであるカタツムリの記号が先行しそれに身体が引きずられている、という図が出来上がり「移動する主体」となりました。

と記載していました。

子供の手遊びで登場するような手で形作ったカタツムリは、カタツムリを知っている人にはカタツムリを表しているものと捉えられ、カタツムリを知らない人には実物のイメージを連想させるものとなり、人と人とのコミュニケーションを図る上での「記号」として登場しているのであって、あくまで主体は記号を作り出している人間側にあります。

ところが、ステートメントでの保育園の話にもある通り、言葉を知れば知るほど知識が豊かになって表現やコミュニケーションが広がっていくように思えていたのに、実は言葉や記号が持っている意味に囚われることで固定概念に埋もれ、いつの間にか主体が人間側ではなく「記号」の方に移ってしまっていて、主体となった「記号」に人間の思考が引きづられている構造になってしまっているのでは?という視点から、カタツムリ(=記号)に引きずられている構造「移動する主体」ができあがりました。

固定概念というところからは少し外れてしまいますが、「お金」も主体の入れ替わりの象徴のひとつとして挙げられます。本来はお金はコミュニケーションを促進させるためのひとつの手段であり記号であったのに、お金に主体性が宿ってしまい、お金を追い求める人間という構造も見受けられるようになってしまいました。

そうした主体の入れ替わりをこの作品で表現しました。

ちなみに、「なんでカタツムリなの?」と聞かれることが何度かあったのですが、カタツムリ自体にはあんまり意味はなくて、たまたま今回の記号の象徴としてなんとなくカタツムリが登場してきただけです。

「移動する主体」のギミック

テクノロジー要素としては、手カタツムリの指をモーターで制御して動かし、触覚が動いているように表現しました。さらに、この「記号」に引きずられている状態を表現するために、地面に這っている人間には別のモーター制御の仕組みも入れて、一定時間毎にズリズリと実際に引きずられるようなギミックを入れました。

ギャラリー内は、よりハイパーリアルな空間にするために人間っぽくしたかったので、人間からコードなどが出ないように大容量モバイルバッテリーを電源として積んでいます。
たまにちょこっと動く程度に作ったので、「今動いたよー!!」「動くわけ無いじゃん、コードとかつながってないんだし」みたいなやりとりをしている鑑賞者の方もいて、なかなかどうして意図通りの形になってくれたようです。

他の作品については、また次のエントリーで紹介していこうと思います。

この記事を書いた人 :
イシイ

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