こんにちは、イシイです。
3331 Arts Chiyodaで開催した個展「箱のなかに入っているのはどちらか?」では、耳のないマウスのいちメンバーとしてチームでの作品を創っていましたが、そのタイミングにあわせて、チームとしてではなく、イシイという個人はどんなメンバーなのであるのかを知ってもらえるような、個人としてのインタラクティブアート作品を並行して創っていました。

作品紹介

作品映像

タイトル

『When have we lost our perspective?』

コンセプト

人間は「生物」であり、時計は「無生物」である。
Human is "life" and clock is "non-life".

それはあくまで「生物」の定義が、細胞から成り立っているかどうかによって区別される世界においての話だ。
Yet this is a definition of "life" being something made up with cells which is commonly accepted in the world.

電気で動く時計と人間は、電気信号で動いているという括りでは同じであり、 細胞から成り立っているかではなく、電気が活動の源であることが「生物」の定義である世界であれば、 「人間」も「時計」もあくまで表層的なものを示す記号でしかなく、同じ「生物」になる。
Both clock and human have their motive power in electricity, and they are equal in terms of their life source being electronic signals. If the definition of "life" is something that of motive power is electricity, then "human” and “clock” equal.

その世界においては、私達の心臓が鼓動を打つことと、時計が針を刻むことは何も変わらない。
Under that definition, there is no difference between our heart beats and tickings of a clock.

私達人間がお互いに認識しあえる世界が存在するように、人間に時計が見えているのであれば、 生命活動を始めた時計からも、人間が見えている世界が存在するのかもしれない。
If the world is existing as a place where multiple beings recognize each other, the clock which started to have its own life, may possibly perceiving the same world that humans are perceiving.

作品解説

コンセプト作成に向けて、文章化する前にアタマの中をアウトプットしたものがこんな感じです。
イメージ図

この作品では、個展「箱のなかに入っているのはどちらか?」作品解説その2のエントリー内でも出てきた、「間主観性」というところにフォーカスしています。

メモで書いてある「嘘も真実になる↔完全犯罪」というのは、例えばとある4人グループがいて、その中で1人を殺してしまったとして、そこに物的証拠をチリひとつ残さなかった場合、残りの3人が嘘を示すことなく完璧なアリバイ証言をしてしまうと、神様的視点では犯罪は起こっているのに、その世界ではその3人の嘘が真実となってしまう(犯罪小説とかマンガでよくあるような内容)。

そういう観点で捉えると、僕らの視点から成り立つ空間の集合体が「世界」というものを築いてるという捉え方になる。それは同時に「世界」が必ずしもひとつだけではないということの裏返しでもある。

目の前にとある物体が見えていたとして、その物体が視野から外れ、誰からも何者からも監視されていない時、その物体が同じ形状を維持しているという保証はないし、もしかしたら全然違う形になっているかもしれない。たまたま視野に入った時に、僕らが定義している構造での物体がそこに存在することによって、僕らの認知している「世界」が成り立っている。

では、僕らが見聞きしてる「世界」ってなんなんだろう?

もうひとつ書いてある「もう少し小さくなったらね」というのは、個展「箱のなかに入っているのはどちらか?」作品解説その1の「移動する主体」の中にもあった内容で、チームメンバーの松田さんが、近所の保育園に通うようになった子供に「保育園楽しい?」と訊いたときに、「楽しいよ!一緒に行きたい?」というので「行きたいな!」と答えると、「じゃあ、もう少し小さくなったらね」という返事が返ってきたそうで、これを初めて聞いた時に、僕らは気づかないうちにあまりにも固定概念にとらわれてるなぁと。

そういったことを踏まえて、

二人以上の人間が存在するときに、一方の人が見ている世界(=その人にとっての主観)と他方の人が見ている世界(=他の人にとっての主観)が必ずしも同じ世界であるとの保証はないけれど、お互いの主観が交錯した共通な空間を認識しながら成り立っている間主観的な世界があるとき、世界の中に間主観的な世界が存在するものだと考えるのと、間主観的な世界の集合体が世界を構築していると考えるのでは似て異なるもので、その間主観的な世界においては捉え方や定義ひとつでまったく別の空間を生み、それはつまりまったく別の世界の存在の示唆にもつながる

というような意識や空間へのアプローチを、この作品を通じて表現してみました。

作品の個々のプロダクトについて

作品自体は、石膏の手を握った時にセンサーから取得できる体験者の心拍と同期して、時計の秒針が動くようになっています。個々のプロダクトはそれぞれ下記のような感じで作りました。

石膏の手

手を型取りして、石膏をその型に流し込んで作成し、手刀の部分を掘って心拍センサーを設置しています。鑑賞者が手を握った時に心拍を計測し、心拍数を時計側にUDPでデータ送信するようにしています。心拍センサーの制御にはArduino Nano、データ送信にはESP8266を使用しました。

石膏の手

石膏の手の土台

石膏の手を乗せるので、台としての安定性も考慮し、厚さ5mmのアクリル板で作りました。センサーを制御したり時計と通信したりするためのモジュールを格納しておく1段目(下段)と、石膏の手を乗せる2段目(上段)に分けて作っていて、ノコギリやヤスリを使ったり、細かい形や小さな構成部分はレーザーカッターで切断して、アクリル用の接着剤で固定しました。映像撮影時にはコードレスで動かしたかったのでモバイルバッテリーを使用していましたが、常設できるように配線と土台の形状に変更を加え、今は有線アダプタから電源供給して動くようになっています。

土台

心拍に同期して動く時計

市販の時計を購入し、元々付いていたスイープ式のムーブメントを取り外して、盤面はそのまま使っています。別途用意したステップ式のムーブメントを分解し、データを受信したタイミングでパルスを送り込んで秒針が動くようにハックし、時計に取り付けています。アクセスポイントの設定、データ受信およびパルス生成は、ESP8266にArduinoスケッチを書き込んで使用しました。

時計

あとがき

作品を作るにあたって一番悩ましかったのが、技術的にではなく行動としてどうやって心拍を取るか、というところでした。ただ心拍を取ることだけにフォーカスするのであれば、台のようなものを設置して「ここに手を置いてください」とでも記載すればいいのですが、それだと「なんでそこに手を置くんだっけ?」というところが腑に落ちない。行動設計としてどうしても違和感が拭えず、コンセプトと体験がチグハグになってしまいます。
文脈を崩さずに体験者にも鑑賞者にもスッと入っていけるような形態はなんなのだろうと考え続けた結果、撮影2週間前にようやく手を差し伸べている形態が生まれました。そこから一気に石膏の型取り・石膏作り・センサーの設置・土台の制作・コンテの変更を進めたので、撮影直前までずいぶんとバタバタでしたが、手の形に落ち着いたことで、最終的にはコンセプトの世界観にうまく締まりが出てくれました。