2015.12.21
- 人×∞
「あなたが今、一番欲しいものは何ですか」
明田守正
テレビドキュメンタリー「あなたは・・・」
前衛演劇作家、寺山修司が脚本を担当した「あなたは・・・」は、たくさんの一般の人々に、一つのフォーマットのインタビューしている様子をあつめたテレビドキュメンタリー番組です。1966年、テレビが一般に普及しつつある時代に放送になりました。
「あなたが今、一番欲しいものは何ですか?」「あなたの友達の名前をおしえてください」「日本はベトナム戦争に責任があると思いますか」「あなたは、今、幸福ですか」など、差し障りのない質問からプライベートに踏み込む質問、政治的な質問、日常会話にはなかなかでてこない大事な質問まで、様々な質問をセットにしたフォーマットで、市場の仲買人、サラリーマン、小学生、大学生、モーターショーのコンパニオンまで多様な人々に尋ねた様子を、ナレーションもなくそのまま映し出しています。同じ質問に対する回答が年齢や立場によって異なることはもちろん、ごく一般の人それぞれの考え方が、その人となりの一面とともにわかってきます。
実験演劇集団、天井桟敷を率いていた寺山修司の作品として、またメディアやテクノロジーと関わった現代芸術作品としても伝説の一作です。現在TBSオンディマンドで視聴することができます。ぼくはこの半世紀前の番組を見て、「いろいろなひとがいるんだ」という好奇心を満たせること以上に、インタビューに答えるひとびとの様子を観察しているとなぜか気持ちがうれしくなることに気づきました。
ポジティブ心理学
なぜ、ぼくは「あなたは・・・」を見て気持ちがうれしくなったのか。ふと、ポジティブ心理学を思い出しました。現在の心理学の主流である認知科学は人間が世界をどのように認識し、どのように対応して行動するのかを解明することをテーマとしていますが、「幸福感とは何か」を科学的、定量的に分析しようとするのがポジティブ心理学です。鬱病を研究していたマーティン・セリグマンが、1999年ごろに始めた比較的新しい分野です。
人が幸せかどうかを調べるために、質問紙調査を行います。調査対象者に「全般に、あなたは幸せな人ですか」「まわりの人に比べて、自分のことを幸せだと思いますか」という質問に「全くあてはまらない」から「強くあてはまる」までの7段階で回答してもらい、主観的に幸福だと思っている程度を定量的に計測します。この自分が幸せだと思っている程度のデータと、他の定量的なデータを併せて、他の要素が「自分が幸福だと感じる」ことにどのように影響しているかを分析していきます。
さまざまな成果が出ています。米国UCリバーサイド校のソニア・リュボミルスキの研究によると、人が幸福感を感じるかどうかに寄与する要因の度合いは、以下に分けることができるそうです。
- 生まれ持った遺伝的要因は50%の寄与
- 環境的な要因は10%の寄与
- 日常的に積極的に行動しているかどうか、は40%の寄与
遺伝子が一致する一卵性の双子の人たちを詳しく調査することで、成長後の環境的要因とは独立している、生まれ持った遺伝的要因がどの程度影響力を持っているかを統計的に分析することができます。その分析によると、人が幸福感を感じるかどうかは50%が遺伝的要因、すなわち「才能」ということになるそうです。
幸福になるには才能が50%!結構、衝撃の事実です。
では、お金、家族、人間関係、健康状態などの環境的な要因はどうか、お金がたくさんあれば幸福なのではないか、と推測したくなりますが、そうした要因は10%に過ぎないことがわかっています。
残り40%は、その人が積極的に行動できているか、によるそうです。「前向きな人は幸せ」という、通常の経験から直観できることが、ポジティブ心理学において科学的な手法で明らかになっています。
加速度センサーで計測する幸福度
ところで、物理現象を計測して数値化するセンサーのひとつに加速度センサーがあります。センサーがどちらの方向に動いているのか、すなわち加速しているのかを計測するセンサーです。スマートフォンを横にしたときに画面が追従して横になる機能は加速度センサーによって可能になっています。スマートフォンに内蔵しているx, y, zの直交する加速度を計測するデータを計算して、重力が現在どちらの方向から来ているのかを調べ、スマートフォンの姿勢が横なのか縦なのか判別しています。
日立製作所中央研究所の矢野和夫は、身につける計測装置、ウェアラブルセンサーデバイスを用いた研究を行っています。加速度センサーなどを装備した装置を常に身につけて生活における加速度の変化を精密に記録し、日常の行動、活動内容と身体の動きの関係を調べています。
矢野の研究のひとつに、幸福度と身体の動きの関係を調べたものがあります。ある事業所で従業員にウェアラブルセンサー装置を身につけて生活行動を分析する実験の中で、質問紙調査を行いました。調査対象を2つのグループ、AグループとBグループにわけ、毎週末、質問紙に答えてもらいます。
Aグループには、「今週あった良かったことを3つ書いて下さい」と尋ねます。Bグループには「今週あったことを3つ書いてください」と、良かったかには言及せずに単にあったことを尋ねます。さらに月に1度、「あなたは全般的に幸福ですか」の質問紙調査で主観的な幸福度も計測しました。
この調査を数ヶ月続けたところ、Aグループは幸福度が上がりました。また、センサーのデータとつきあわせると、Aグループは一日の中で身体の動きが活発になるタイミングが早くなり朝から活動するようになり、帰宅時間が早まったそうです。一方Bグループには目立った変化はありませんでした。
「今週あったよかったことを3つ書いて下さい」というポジティブな内容の質問をするだけで、その人は幸福度が上がっているのです。
「幸せな人はよく動く」という分析結果も出ました。質問紙調査で幸福度が高いと答えた人は、ウェアラブルセンサーで計測した身体運動も活発であることがわかったそうです。身体運動はその人の積極性とも関わっていて、会話をするときに体がよく動くひとは、その他の調査でわかった「物事に積極的であるか」というレベルとも深い関係があるとのことです。また当初はさほど積極的な度合いが高くなかった人も、そうした積極的な人とよく会話するようになると、だんだん積極性が高まることもデータで確認できたそうです。つまり、「身体の運動に現れる幸福感は、周りに伝染する」ということになります。
先に出てきた、ぼくの疑問に関してひとつの説明ができます。ぼくが寺山修司の「あなたは...」を見てうれしく思った理由は、「あなたにとって幸福とはなんですか?」という質問をぶつけられた人が、短い時間でも自分にとって良かったことを考え、すこしでもより幸福に近づく人を見て、その幸福感がテレビ番組を通じてぼくに伝染しうれしくなったのではないでしょうか。「あなたは・・・」の番組の作り方には、「今週あった良かったことを3つ書いてください」という質問を受けることと同じ働きで、幸福を増幅する機能があるのかもしれません。
ホーソン効果
画面の中のアプリケーションの使い勝手を改善するユーザーインターフェイス研究の元をたどると、19世紀の鉱山や工場において「労働者をどこまで無理なく働かせることができるか」をテーマとした労働効率を高めるための研究に始まっています。20世紀半ばに自動販売機のボタンの大きさや乗り物のスピードメーターの数字の大きさを適切に設計するための知見を提供する人間工学として確立していきます。
この分野で有名な知見として、「ホーソン効果」というものがあります。1924年に米国シカゴ郊外のウェスタン・エレクトリック社ホーソン工場で実施していた実験で生まれた知見です。ホーソン工場の実験のそもそもの目的は、作業環境の物理的状況と労働者の作業効率にどのような関係があるのか、すなわち、より効率良く働いてもらうためには工場の環境をどのようにすればいいのか、を調べることでした。
作業場所における照明の明るさと作業効率の関係を調べるため、まず照明を実験前より明るくしました。作業効率ははっきり向上しました。次に、どの程度作業効率が下がるかを計測しようと、照明をもとの明るさより暗くしました。しかし、照明を暗くしても作業効率は照明を明るくした場合と同じように向上しました。
なぜ作業効率が向上したのか?詳しく調べたところ、調査にやってきた研究者たちが従業員に注目して観察している、という、「自分たちが注目を集めて見られている」という通常ではない状況が影響して作業効率が高まったことがわかりました。この「注目を受けると気持ちが高まって効率が良くなる」現象をホーソン効果と呼びます。
矢野の「今週あったよかったことを3つ書いて下さい」という質問をすると帰宅時間が早まった、つまり、作業効率が向上したので早く帰ることができるようなった、という結果には、ホーソン効果も影響していた、と考えることができます。
ちなみにソフトウェアの生産性向上をテーマであるソフトウェア工学の大家トム・デマルコはホーソン効果をより一般化し、次のように述べています。
「人は何かあたらしいことをやろうとするとき、それをよりよくやろうとする」
「生産性向上はすべてこのホーソン効果によって起こっている」
注目を受け、他から影響を受ける状況が人の積極性を高めてより生産的になり、そして、より幸福になる現象はホーソン工場での昔の実験でも確認できていたことになります。
テクノロジーがもたらすもの
寺山修司は、テレビ放送が普及していく時代に半ば実験的なドキュメンタリー作品を作り、社会にひとつの影響を与えました。テレビ放送は当時最先端のメディア・テクノロジーで、前衛芸術作家がテクノロジーと関わって作った「あなたは・・・」はメディア・アートの系譜にあると言えます。
矢野和夫は現在のセンサー技術で身体の加速度変化を計測し、活動の活発さを分析することで、人間の幸福を数値である定量データとして計測しようとしています。人はどのようなときに幸福なのかを知ることができれば、より幸福になるためにはどのような環境を用意すれば良いのかが見えてきます。
寺山修司も矢野和夫もどちらも先端のメディア・テクノロジーを用いて、寺山は芸術の表現力をもって、矢野は社会で役に立つ技術として、人々を幸福にすることを実現しようとしています。
IoTなどのあたらしい技術が社会をより良くして行く、というビジョンは繰り返し現れてきました。まったく新しい原理で駆動する装置や、その装置を組み合わせたアプリケーションで得られる目新しさがおもしろく、人々を幸福にすることはあります。そのいっぽうで、人々を幸福にするには、たとえば目覚めたときに「昨日、あなたにとってどんないいことがありましたか」と尋ねて記録してくれる小さなアプリがあればいいのかもしれません。むしろ、手帳に昨日あった良かったことを記述する習慣を単に身につけるだけでも十分かもしれません。
ぼくは新しいテクノロジーとその表現が大好きですなのが、単にテクノロジーが好きなのか、そのテクノロジーが、人々にもたらす幸福度を高める影響が好きなのか、の違いを考えていった方がいいかな、と考えています。あなたはどうでしょうか。「あなたが今、一番ほしいものは何ですか」
参考
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矢野和夫[2014]: 「データの見えざる手: ウェアラブルセンサが明かす人間・組織・社会の法則」、草思社
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トム・デマルコ、 チモシー・リスター[2001]: 「ピープルウェア 第2版 - ヤル気こそプロジェクト成功の鍵」、松原友夫, 山浦恒央、日経BP社
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荻元晴彦、寺山修司[1966] : TBS名作ドキュメンタリー特選〜萩元晴彦〜ドキュメント「あなたは・・・」
※冒頭の花の写真は明田撮影